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チャプター3が終わりました


よーやく第3章の終わりでございます。

あー長かった・・・!

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Category: Notes

Magnet 31.「End of the long winter - 長い冬の終わり - 」





Sequel Ⅲ  後日談 : その3


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アッパーウエスト  11:10 a.m.

「……あぁ……」

大きくため息を吐き、がくり、と崩れ落ちた後、彼は一瞬で深い暗黒の世界に落ちた。
意識を手放していた時間そのものは、ほんの短い、時間とも呼べないほどの、時と時との狭間。
すぐに意識が戻ったのは、自分の下に敷いたままの彼女の手が、優しく彼の髪を撫でていたからだろう。
不慣れな感触に違和感を覚え、ハッとしたように身体を少し離すと、彼女がふふふ、と笑った。

「ぶっ飛んじゃったの?あんたらしくもない」
「…あんたこそ」

やめてくれ、そう言わんばかりに、彼の髪を撫でる白い手を剥ぎ取り、彼女の中に自分を埋めたままで、再び彼女を磔(はりつけ)にした。

「ふふ…まだ足りないってわけ?」
「……」
「ああ、でももう行かなきゃ。残念だわ。過去最高のファックだったってのに」

仕方なく身体を離し、ベッドに横たわって彼女を解放した。
床に落ちたシルクのガウンを拾い、するすると肌の上に滑らせる彼女を見遣る。

「……イネス」
「何?」
「……」
「? 何なの?」
「…いや、何でもない」

おかしな人ね、そう言いたげに肩をすくめ、イネスは寝室から繋がるバスルームに姿を消した。
″ ごめん ″――彼はそう言おうとして、それをやめたのだった。
部屋に入るなり、前を歩く彼女を壁に押し付け、ガウンの裾をまくり上げ、彼女の中に指を入れた。
″ もう、ほんとにせっかちなんだから ″そう呆れたように笑い、その先を許した彼女。
何故だろう。ごめん、とそう言いたくなった。彼女に対してこんな気持ちになったのは、きっとこれが初めてだろう。
彼女に愛情と呼べるほどの感情を抱いたことはなかった。何らかの絆のような、言わば同志に対する敬愛の情のようなものは感じるが、それ以上の感情はない。
いつだったか、暗黙のルールを破り、彼女がスキンシップを求めた日と同じように、彼の髪を優しく撫でる彼女に苛立ちを覚えた。
もしかしたら―――さっきの自分と同じように、彼女にも、今までとは違う感情が生まれることがあったのだろうか。
2人の距離感の均衡が破られてしまえば、もう、彼女とは終わりだ。
いや、むしろ終わりにしなければ――心の底でそんな漠然とした思いが生じるのを感じつつ、イネスに対して救いを求めている自分も嫌というほどに解っている。
実際、彼女・シェリーを見送った後、訳の解らないもやもやとした苛立ちをイネスにぶつけたのではなかったか。
だが、イネスを抱きながら、頭の中にはシェリーのことばかりが浮かんでいた。
だから彼女の残像を追い払おうと夢中で動いた。その結果が「過去最高」という賛辞を得たのだとしたら、まさに皮肉でしかない。

俺は……
一体、何をしてるんだろう……

ああ、まただ。時折彼の前に現れては胸を蝕む、あの虚無感。
これ以上ない厄介な感情に支配されてしまう前に、彼はベッドから身体を起こし、散らばった服をかき集めた。
そしてシャワーを浴びるイネスが戻って来ないうちに、彼女の部屋から姿を消した。
そして、1階へ降りるエレヴェイタ―の中で、彼ははっきりと自分の心の声を聞いた。
終わりにしなければ。そうわざわざ決意するまでもない。イネスとは、もう終わっているのだと。









ミッドノース Café Dubois (カフェ・デュボア)


その日のマンハッタンは、ぽかぽかとした陽気に誘われたように、どこもかしこもたくさんの人々で溢れかえっていた。
観光客もたくさんいて、あちらこちらで色んな言語が飛び交い、街のいたるところで人々が写真を撮っている。
彼の働くカフェも例外ではなかった。朝からひっきりなしに客足が押し寄せ、朝一番に仕入れたばかりのベーグル類も、昼すぎには早々に売り切れてしまう有様だった。
その日遅番だった彼は、朝の11時からカウンターの中に入って仕事を始めていた。
昨夜のベティとのあれこれを思い出して余韻に浸る暇もなく、そこへ入るなり、大量のラテのオーダーをこなさなければならなかった。
その日はジェニーも仕事だったが、話をする余裕もなく、「おはよう」と互いに挨拶をしただけで仕事に追われていた。
ジェニーは仕事中も彼の体調を案じているようで、目が合えば瞳で「大丈夫?」と訊いてくるから、彼はいつものように彼女を安心させるために、その都度、軽く笑みを返すことを繰り返している。
ジェニーのこともベティのことも今は考えたくなかったから、この忙しさに内心救われた思いで彼は仕事に没頭した。

そうこうしているうちに、昼の3時を過ぎた頃から少し客足が緩くなってきた。
息つく間もないほどの慌ただしさから少しだけ解放され、スタッフ同士のお喋りも飛び交うようになっていた。
その時を待っていたとばかりに、ジェニーがポールのもとへとやってきて、具合はどう?と心配そうな瞳を向ける。
気にかけてくれてありがとう。でも大丈夫、もう心配いらないよ。いつものように彼が笑みを返す。
ジェニーは心底安心した、とは言えない様子で、彼の言葉に何か言いたそうな顔を見せたが、彼がそのまま仕事を続けてしまったので、それ以上彼に声をかけることを諦めた。
そしてしばらく経った頃、店の前の道を掃除するために外へ出たポールが、掃除の手を休め、向かいのサロンの方へと手を挙げた。
ジェニーがそれに気付き、店の窓を拭く振りをしてじっと観察を続けていると、ベティが右手でピースマークを作り、オーケー、というジェスチャーを返した彼が店内に戻って来た。
そしてカプチーノを2つ作り、それをベティの元へ届け、再びカフェに戻るポールの一連の動作を、気付かれないようにこっそりと観察した。


「―――Hi , Paul」
「Oh , Hi」
「今日はホントにいいお天気ね。こんな日に仕事なんて嫌んなっちゃう」
「Yeah」

数時間後、洗ったマグカップを返しにベティがカフェを訪れた。たまたまカウンターにポールがいて、ベティと軽く会話を交わしている。
ジェニーはそれと気付かれないように横目でそれを観察しながら、ふたりの会話を聞き逃すまいと全神経を彼らに集中させた。
表面上はこれと言って疑うべきことはないように見える。けれど、少し前までは確実に存在していなかった「何か」がふたりの間にゆらゆらと漂っている。
彼が店の前で、ベティと以前のようなやりとりをしているのを見た時に、「何か良くないもの」の訪れを直感した。
そしてその後のふたりの何気ない軽い会話の中に、ふたりの間に明らかに「今までと違う何か」が漂っていることも確信した。いわゆる「女の勘」というやつだ。
ベティが店を出て行ったあとにも、ポールの周囲にはまだその「何か」がふわふわと漂っている。
残念なことに、というよりも、彼女からしてみたら幸いなことに、と言ったほうがよさそうだが、彼はそういった「何か」の存在を上手に隠すスキルというものを持ち合わせていなかった。
彼女を安心させようといつでも笑顔を向けてくれることも、彼女には時おり、それが「作られたもの」だということがちゃんと解っていた。それを知らないでいるのは彼自身だけだ。

直感に従い、ジェニーは帰宅後、何かしらの痕跡のようなものがないかとコンピューターを開き、ベティのインスタグラムやTwitterを調べ、そして直感が正しかったことを知ることとなった。
ベティのインスタグラムにアップロードされた数枚の写真。明らかにベティと解るボブカットの女の子や、ハートやリーフ模様のラテアートの写真だ。
その中の一つの模様は彼独自のデザインで、ひと目でポールの描いたものだと解る模様だった。そして全ての写真に「#weekend」「#@cafe」「#paulthebestbaristainny」(ポール、NYいちのバリスタ)とハッシュタグが付けられている。
そのうちの一枚の写真には「My first artwork.Thanks Paul ! 」とキャプションがつけられていた。









アッパー・イースト  10:20 a.m.


夫が息子を伴ってビル内のジムへと向かってから数分の時が経とうとしていた。
ぽかぽかとして春めいた、とても気持ちの良い日曜日だった。
日曜日には家政婦たちも休みになるので、今現在、家には彼女ひとりだけだ。厳密に言えば、ナディアがこの家に住み込んでいるのだから、彼女ひとりだけ、ということにはならないのだが、ナディアは朝から出かけていて留守だった。行先は言うまでもなく、教会だ。
そもそも、ナディアがどこへいつ誰と出かけたのか、いつ帰宅したのか、など詮索はしないのだから、出かけていようがいまいが、「休みの日にはナディアはいない」ものと認識されている。
キャサリンはのんびりとテラスを散策したあと、時計を見て、今日の昼食をどうするか、そのことに考えを巡らせた。
キッチンへ行き、冷蔵庫を開ける。サンドウィッチの材料くらいなら何とかなりそうだったが、久しぶりに家族揃って何か軽いものを食べに外へ出るのも悪くないかも、そう思い直して冷蔵庫を閉めた。
何と言っても、家にいるのがもったいないくらいの天気なのだ。
5分で身支度の整う男性陣2人を待たせることのないように、先にそれを済ませておくことが望ましい。
彼女はシャワーを浴びて、バスルームから繋がったクローゼットに移動した。
何を着て行こうかしら。ぽかぽかとした陽気だけど、案外風は冷たかったし、薄着では寒いかもしれないわね。
そんなことを考えながら、袖を通した白いシャツの上に着るセーターを選ぼうとして、ふと、夫のカシミアのセーターを拝借してみるのはどうだろう、と思いついた。
甘すぎない、少しグレイッシュな淡いピンク色をしたカシミアのセーター。彼女は夫のそのセーターがお気に入りだった。
素肌に着るには大きすぎるが、シャツの上から着るとほどよいサイズ感になる。セーターの袖口から出したシャツをまくり上げて着崩すと、彼女は満足気に鏡の前で立ち姿をチェックした。
その時だ。携帯電話にメッセージの届く音がクローゼットに小さく響いた。
自分の携帯電話かと一瞬思ったが、ここには持ってきていなかったはずだとすぐに思い直した。
クローゼット内を見回すと、昨夜夫が着ていたスーツの上着が、椅子の背にかけられたままになっているのに目が留まった。
ハンガーに掛け直そう、とその椅子から上着を持ち上げたとき、ポケットにちょうど携帯電話ほどの重みのものが入れられたままになっているのに気付く。

魔が差した。あとになって彼女は自分のしたことにそう言い訳をするだろう。
恐る恐るそこへ手を入れ、取り出した携帯電話。そのディスプレイに、届いたメッセージが表示されていた。
『素敵なタイだったわ。可愛い奥様にもよろしく』―――ただそれだけの短い一文。それだけで彼女は全てを覚った。それは夫の浮気相手からのもので、しかも昨夜のパーティーに顔を出していた人物なのだと。
差出人名は『ysl 』とただそれだけだった。きっと女の名前かニックネームのイニシャルなのだろう。
この携帯電話は夫の仕事用のもので、プライヴェートなほうはジムに持って行ったはずだ。
仕事用の電話にメッセージを送る。それがどういう意味合いを持つのか。彼女は瞳を閉じ、混乱する頭を整理しようと努めた。
そのメッセージを開き、相手の番号や情報を手に入れてしまいたい、そんな欲求に心がぐらぐらと揺れる。
しばらく考えを巡らせると、彼女は意を決し、ドレッサーの引き出しからメモ用紙とペンを取り出した。
そして夫へ届いたメッセージを開き、そこから相手の情報を引き出して、それらを紙に書き出した。
最後に、届いたメッセージそのものを消去し、携帯電話を夫の上着のポケットに戻すと、その上着を再び椅子の背にかけて、すべてを元通りにした。









ブルックリン 6:50 p.m.

お腹を空かせたデーヴィーに遅めの朝食を与えたあと、彼女はソファーでうたた寝をしてしまった。
何だか疲れちゃった―――そう感じてソファーにどかっと腰を下ろし、あれこれと考え事をしているうちに、うとうととしてしまったのだった。
春の訪れを感じさせるような、ぽかぽかとした陽気のせいもあっただろうし、彼の作ってくれた朝食をお腹いっぱい食べてしまったせいもあっただろう。
そんな彼女を起こしたのは、やはりデーヴィーだった。彼女が長いことそこで寝ていると、お腹や胸の上に乗り、毎回容赦なく起こしにかかるのだ。
時計を見ると昼の2時を半時も過ぎた頃だった。それからシャワーを浴びて、アパートメントの地下にあるランドリー室に洗濯物を放り込みに行き、それから近くのマーケットで買い物をした。
夕方帰宅し、地下のランドリー室へ洗濯物を取りに行き、そのあとは何をするでもなく、時間を持て余した彼女は、本でも読もうかとソファーに腰を下ろした。
けれど、いくらページを目で追っても、少しも内容が頭に入ってこない。仕方なく何度も同じ箇所を読んではみたのだが、結果は変わらなかった。全く集中出来ずに、文字が意味のない記号の羅列のようにしか見えないのだ。
ため息を吐いて膝の上の本を閉じ、それ以上読むことを諦めた彼女は、再びソファーにごろん、と横になった。
顔にかかった髪の毛を手で払いのけようとして、ふっと目に入った自分の手。知らない誰かの手のように、それをまじまじと見つめる。
彼からマグカップを受け取る時に重なってしまったこの指。そして、瞳。
あの時の彼の瞳の色が脳裏に蘇り、彼女の胸をざわつかせる。彼のあんな瞳の色を見たことは、今まで一度もなかったのだ。
彼の瞳に浮かんだ色。ほんの一瞬のことだったのに、鮮明に思い出すことが出来た。
あの時、見てはいけないものを見たような、それでいて、どこか確信にも似た思いが湧いた。
だが彼女自身、あの時自分の瞳にも同じ色が浮かんでいたことも、心の底に隠されている、彼女自身もまだ存在に気付いていない部屋に彼の瞳の色が仕舞われたことも、この時はまだ知る由もなかった。
今はただ、心がざわざわと音を立てていることを自覚しているに過ぎなかった。
ふと気が付くと、さっきまで部屋の隅っこでひとり遊びをしていたはずのデーヴィーがいつの間にかそばに来ていて、きちんと床にお座りをした姿勢で彼女の顔を見上げている。どうかしたの?と、そう言いたげな顔で。
デーヴィーを抱き上げて胸の上に乗せる。額に唇をうずめると、みぃぅ、とデーヴィーが小さく鳴いた。

「ごめんね、朝までひとりぼっちにして。寂しかった?」

みぃぅー。ひとりにしないでよぅ。再びデーヴィーが甘えるような声で小さく鳴いた。

「んんー、ごめんね。寂しかったの、そうなの、マミも寂しかったよ」

そう言いながら顔や額や喉元を撫でさすり、デーヴィーから気持ち良さげなゴロゴロとした喉音を引き出した。
デーヴィーが乗った胸のあたりがぽかぽかと暖かい。糸みたいな細い目になってゴロゴロ言い続けるデーヴィーの喉元を撫で続けていると、彼女まで眠気が押し寄せてしまい、デーヴィーを乗せたままでうとうとと眠り始めてしまった。



そうやって再びソファーでうとうとと微睡(まどろ)み始めて、どれくらい経った頃だろうか。誰かが部屋のブザーを鳴らす音に、彼女はまたしても起こされた。
誰かと思えば、ベティとミシェルの2人だった。デリでワインや食べ物を買い込んだ2人が、仕事帰りにブルックリンの彼女の部屋までやってきたというわけだ。
「昨日はごめんねパーティー」だと2人は言うけれど、「あのあと彼とどうなったのよ!?」と話を聞きたくてうずうずしたからやって来たのはありありだ。
残念でした、何もないわよ。って言うか、あるわけないじゃない!
そう唇を尖らせるラムカだったが、美味しいワインと食べ物のせいで、またしても幸せな気持ちになる脳内物質に思考を支配され、そのあとはいつものようにげらげらと笑い転げるのだった。


「―――でもさあ、無理やりあんたの世話押し付けられて迷惑だったはずなのにさ、朝食作ってくれたなんて優しいじゃん、彼。やーん、惚れ直しちゃう!」
「君が惚れ直してどうすんの」
「何言ってんの、優しくなんかないわよ。アイメイクが滲んだ私の顔みて『マリリン・マンソン』って言ったのよ、彼!ひどくない!?」
「ぶっ」
「他にも皮肉っぽいこと言われたしさ」
「とか言いつつ、まんざらでもなさそう」
「ね、本当は楽しかったって顔だよね」
「やめてったら。そんな訳ない」
「ってかさ、ミシェル、あの彼女どんな人よ」
「彼女? アマンダのこと?」
「そう」
「あー……今の前に働いてたサロンの客だったんだけど、プライベートなことはよく知らない。すごく要求とか評価が手厳しいけど、求められてる以上の仕事をすればチップも弾んでくれるし、新客を連れて来てくれたり、Twitterで宣伝してくれたりもする。まあ、この街に多いタイプの女性じゃないかな」
「ふーん…きっと押しが強いタイプよね。Hey、気を付けないと彼、盗られちゃうよラムカ」
「何でそうなるのよ」

げほん、げほん―――口にしていたナッツの破片を喉に引っ掛け、咳払いしながらラムカがかすれた声を上げた。

「人のことより、あんたこそどうなってんのよ」
「昨日言った通りだよ。キスだけしてサヨナラしたって。――――あっ!そうだ!ミシェルの相手の男知ってんだって!?ずるいよ」
「話したの?」
「Oui(ウィ))
「私も金曜の夜に知ったばかりよ。相手については全然知らな―――ってかミシェル!あんたこそあの後の報告まだなんだけど!」
「あの後!? 何、何があったの」
「あー……」

会いに行く勇気が出ない自分をラムカが無理やり連れ出してくれたこと、そしてその後、めでたく彼と一夜を共に出来たこと、昨夜もちょっとだけ彼と会っていたこと、昼間電話をして近々会う約束をしたこと、それらの出来事を淡々と語るミシェルの首に、ベティが後ろからガシッと腕を回した。

「Hey ! よくも抜けがけしたね?自分だけセックスした罪で逮捕する!」
「ちょ、苦しいです警部」
「共犯者の名前を吐け!」
「ミ……ミゲルです」
「Wow!同じ大天使同士なの!?」
「『ミゲル』ってミカエルのイタリアン・ネームだっけ?」
「それは『ミケーレ』。『ミゲル』はスパニッシュ・ネーム。でも彼、イタリアンとスパニッシュのミックスって言ってた」
「Ooh!きっとHotなラティーノね。ダークヘア?それともまたキュートなブロンドちゃん?」
「ダークヘア。瞳はヘイゼル」
「で、肝心のアッチのほうはどうだったのかねピノトー君。言え!言うんだ!」
「洗いざらい吐くんだ!」
「……マジで?言っていいの?飢えたお嬢さんたち」
「む?」
「いいの?ホントに?言っちゃうよ?ぶちまけちゃうよ?」
「むむ!?」
「ごくっ…」
「……His dick……(彼のアソコ)………is really fuckin’ killer!(マジで死んじゃうほどいい!)」
「きゃー!」
「Yeeeeeees!」
「一日に4回もやっちゃった!ふふっ」
「Gosh ! そんな回数、何年もないわー」
「えっ、あったの?」
「えっ!?ないの!?」
「4回よ!?」
「だって一日でしょ?一晩じゃないよ?」
「―――もう!まだあるんだから聞いて!顔でしょ、身体でしょ、声、匂い、えーとそれから……とにかく、マジで何もかもが素敵なの!」
「It’s not fair !」
「ほらね、いい男はもれなく全員ゲイなのよ。女があぶれるわけよ!」
「―――でもね、一番好きなのは彼の瞳。目と目があった瞬間、恋に落ちちゃったんだ」
「Aww…」
「それだけじゃないんだ。笑顔がとんでもなくキュートでさ、マジでキュン死しちゃう」
「うーわ、まだあんの?これ以上聞くとムカつく予感しかないんだけど」
「同感」
「あとね、あとね、キスも舌使いも腰使いも……ああ、もう、もう……ほんと、最高としか言いようがないよ」
「褒めすぎー。何か嘘くさーい」
「やっべ、まじムカついてきた!」
「ま、100倍増しに見えてる時期だもん、しょうがないけどねー」

うっとりとした顔でノロケ話を続ける彼は、女性陣のブーイングも全く耳に入らない様子で、さらに浮かれた声を上げた。

「Oh god ! またやりたくなってきた。ねえどうしてくれるの、今すぐ彼とファックしたくなっちゃった!」
「ねえベティ、さっきからいけない言葉連発する悪い子がいるんだけど」
「Yeah!そういう悪い子にはお仕置きだよね」
「わー!」

ベティがミシェルを押し倒し、反対側からラムカも参戦して、ふたりでミシェルの鼻やおでこや唇、顔中にキスの雨を降らせる。
ミシェルはもみくちゃにされ、シャツを脱がされたり、お尻を叩かれたり、ふたりの飢えた女どもからあれこれとお仕置きをされてしまった。
笑い過ぎたせいと嬉しさとアルコールのせいで、3人とも顔が涙でぐちゃぐちゃだ。
そうやって床に転がったままで、いつまでもくだらない冗談を言い合い、時にじゃれ合い、3人は寄り添うようにして、そのまま床の上で眠りに落ちたのだった。










ウエストヴィレッジ 8:10 p.m.

イネスの家からの帰り道、彼は友人のトムの店でランチをとるため、ノリータ地区へと赴いた。
食事の後、忙しそうなトムの手伝いをしたり、トムや店を訪れた共通の友人たちと話したりして夕方までのんびりとそこで過ごし、ようやく彼は自分のアパートメントへと帰宅した。
そしてそのままソファーに倒れ込むように横になった。
帰宅してドアを開けた瞬間に感じた、いつもと違う空気が部屋に漂っているような、奇妙な感覚。
自分以外に誰も居るはずのないこの部屋に、自分ではない他の誰かが確かにいたのだ、と改めて認識させられた。つまり、それは彼女だ。
姉や甥たちが帰ったあとには決して感じることのない「何か」がそこには漂っていて、それは彼を息苦しくさせた。
駅の階段で彼女を見送った時と同じような、わけのわからないものが、じりじりと胸を焦がすのを感じ、彼はソファーに寝転がったまま瞳を閉じた。そしてそのまま眠りに落ちてしまったのだった。
目を覚ましてみれば、すっかり日も落ちていて、ひんやりとした暗闇が部屋を満たしている。
明日からのクリフォード家でのメニューの準備もしなければならないというのに、何もやる気が起こらない。
彼はとりあえずソファーから身体を起こし、キッチンへ行って冷蔵庫を開け、冷やしてあったミネラルウォーターで乾いた喉を潤した。
それからバスルームへ行き、クローゼットを通り抜けて部屋へ戻り、そして、ベッドの前で立ち止まった。
そこは彼女が起き出したままの状態にされている。彼はゆっくりとそこへ腰を下ろし、身体ごと振り返るようにして、彼女が寝ていた箇所に瞳を向けた。
枕やシーツには柔らかなしわが残されている。何故だか彼女の体温がまだそこに残されているような気がして、確認するように、そっとそこへ手のひらを置いた。
当然のようにそこはもう冷たくなっている。それは解っていたはずなのに、何故だか彼を気落ちさせた。
やがて彼は頭の中のあれこれを追い払うように髪の毛を掻きむしり、そして、ベッド脇の小さいチェスト上に置かれたままの、彼女のピアスに目を留めた。
手を伸ばしてそれらを拾い上げる。手にした彼女のピアスを弄ぶようにして、しばし考えを巡らせると、彼は時計で時間を確認し、天井を見上げて小さく息を吐いた。
しばらく逡巡した彼は、彼女のピアスを手にしたまま、椅子に投げ置いてあった上着を取り上げた。




数分の後、彼はブルックリンの彼女のアパートメントへとバイクを走らせていた。
目印にしている、1階に小さな本屋がある建物の角を曲がる。スピードを落としてその通りをしばらく進み、彼女の住むアパートメントが見えてきたところでバイクを停めた。
エンジンを切り、ヘルメットを外す。乱れた髪を直すように髪をかきあげた時、聞き覚えのある笑い声が前方から聞こえてきた。
その声に顔を向ける。ミシェルとベティだった。2人は買い物の荷物を抱え、笑いながら彼女のアパートメント入口の階段を上がろうとしていた。
2人が建物の中に入るのを黙って見送ることしか出来ず、短く息を吐いた彼は、再びバイクのエンジンをかけた。
来た道を引き返し、再びブルックリンブリッジを走ってマンハッタンへと戻る。
少し前には肌を刺すように冷たかった風が、いつの間にか、冷たさの中にも暖かく柔らかな空気をはらんでいる。ようやく新しい季節が訪れようとしているのだ。
それは、彼の心の中の硬く厚い氷をも溶かし始めていた。ただ、彼自身がそのことに気付くのは、もう少し先のことだ。
昨夜から続く訳の解らない苛立ちから逃れるために、彼はその夜もまた、美しい水色のボトルから強い酒をグラスに注ぎ、それを何度も身体に流し込むことになる。
胸を蝕む苛立ちと心地よい酩酊とが、彼の中で何とか折り合いをつけ始めた頃、ようやく彼の長い一日が終わろうとしていた。







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